プロフィール

loveams

Author:loveams
2006年1月永い闘病を終えて、33歳で天使となった妻。
娘6歳パパ43歳。
ふたりでの生活が始まりました。

娘:あまま(愛称)
趣味はバレエと絵。
パパ:たーちゃ(命名:あまま)
超零細企業経営とライフワークとしている音楽製作(音楽では家族を養えなくて・・・)。

幼少期の記憶は薄れがち。ママの天使のような笑顔を忘れずに成長していって欲しいと願っています。
loveams@excite.co.jp

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癒された本

頑張れた本

シングルファザー日記・初級編
2006年1月に天国へ旅立ったママ。残してくれた優しさと笑顔を娘に伝えていくために日々精進。シングルファザーとしては初心者。成人まで付き合えれば中級者かな?
抗がん剤「アバスチン」承認
抗がん剤のアバスチンが日本で承認されましたね。と言っても知らない人は多いと思いますが。

この薬がママの病気にも効くのではないかという情報を頂いてからいろいろと調べた。大腸癌の再発・転移に関しての成績は、5FUなどだけではなかなか効果がなかった患者さんに、アバスチンで選択肢が増えたと言う事でしょう。
アバスチンに感受性が認められるなどとわかっていた方々は、今日はちょっと気が楽になる日でしょう。

さすがに高齢な母が大腸癌手術の後に再発して、これを利用することはないと思うが(再発も最初から考えているわけではないし)。

申請から承認までの期間が日本にしては短かったとは思う。それでも、もう既に88カ国で承認されているというのは・・・。これだけ大腸癌になる比率の高い国で

と、なんだかまじめな日記でした。

さ〜て、あしたも頑張るか〜

テーマ: - ジャンル:心と身体

「スーテント」の早期承認を求める署名活動
GIST患者さんのための情報ページ

以前にも書きましたが、2007年2月28日締めきりで、GIST患者さん・腎細胞癌患者さん達のための新薬、スーテントの早期承認申請を求める署名活動が行なわれています。

GIST患者さんのための情報ページ/トップページから引用 ------
去る12月25日、ファイザー株式会社よりGIST、腎細胞癌を適応とする「スーテント」(スニチニブ)の承認申請書が、厚生労働省へ提出されました。このホームページでも、「スーテント」の早期承認を求める署名活動を行いたいと思います。
--------------------------

GISTにはグリベックという治療薬があり、多くの方がこの薬で腫瘍を押さえ込んでいるらしい。でも、耐性の問題があり、新しい薬が必要とされている(詳しくは上記リンクから)。

お時間のある方は是非覗いてみてください。プリンターのある方は、ダウンロード形式で署名用紙が手に入ります。

2007年2月28日までトップに固定されています。

テーマ:病気と付き合いながらの生活 - ジャンル:心と身体

冠動脈バイパス手術
ばあばの手術終了。朝9時から6時まで、予定を3時間オーバー。冠動脈バイパス手術は、体内の他の血管を取ってきて、細くなった心臓へ行く3本の動脈をバイパスさせるためのするものだが、動脈硬化が結構進んでいて、血管縫合をしようとするとぽろぽ崩れて来たり、繋いだ血管に血が行かなかったり。3本のうち満点は1本。総合すると70点という感じらしい。

今後の注意点は、100点に満たなかった2本の動脈がちゃんと機能するか、しない場合、バイパスは難しいから他の対処をということ。また、血流が始まって、問題若干ありのところに血栓が詰まったりしないか、ちゃんと機能するかを2-3日はICUで見たいとのこと。あままに会うのは週末か。

ICUに入って姿を見ると、今回の治療で一番緊張したというか、ああ、やっぱり病気なんだなという感想。ママの時は自分も患者の一部という感覚だったが、親だと「大丈夫、治療方法も確立されているんだから」と、結構いい加減だった。しかし、体中管だらけで、麻酔から覚めずにじっと目を閉じている姿を見ると。ママの時も思いだしたし。複雑な心境で病院を後にした。

今回の件で気がついたのは、やはりG・A病院の設備は素晴らしい。この病院も総合病院で、新館ができもう2棟増築中、どんどん新しい機器が配置されているが、手術待合のソファとかが酷い・・・ココに9時間座ってみなさいよって。さらに、ポケベルもPHSも無いので、待合室から離れても5分程度で戻らなければならない。売店まで歩いて片道5分かかるのだからねえ。患者の家族は二の次というのは仕方ないのかな。

病室も旧館に比べると広く明るくなったが、冷蔵庫もトイレも遠い。5000円程度の差額ベッドでも冷蔵庫トイレが無い。また、病棟のデイルームというか広場?も狭くて陰気。まあ、その分良い医師や看護師などの、一番重要な部分はしっかりしている印象はある。言葉と表情が違うという感じ。

術後の医師の説明も、9時間もの重労働にの関わらず(当たり前と言えば当たり前なのだが)しっかりと説明、さらに「おかさんはお孫さんと遊びたいんですよね。狭心症の症状が出て来たりしたら、お孫さんと遊ぶのもシンドイでしょうから、なんとか循環器の先生などもと話して、最善の治療をしていきます」と、色々な感情を込めた(そう見える)表情で語る。こういうところで家族や患者は安心するものだ。

待っている時間が9時間もあったので、文藝春秋の残りを読んでいたが、聖路加国際病院の日野原理事長95歳。この病院にはあちらこちらに酸素吸入器があり、サリン事件の時は無制限に患者を受け入れて効果を発揮したとあった。
あままを出産したのが聖路加。産科は全部個室で立会い出産。どんな出産が家族にとって素晴らしいかは異なるが、ハッキリとしたコンセプトを打ち出していると選びやすい。幸せな出産だったな〜。それにその頃はなんでそんなにお金があったんだろう

ハードとソフトが両立された、素晴らしい医療施設が増えてもらいたいものだと痛感した軟禁(ほぼ読書)の1日だった。

あとはこの結果が最善の結果になるのを願うばかり。

テーマ:医療・病気・治療 - ジャンル:心と身体

宮井君ありがとう
昨年、キュアサルコーマのブログに宮井君の書き込みを見つけて以来、妻の血管肉腫と近い、血管周皮腫という病気と闘っている彼とメールのやり取りをしていました。

彼が大阪へセカンドオピニオンに行った時に、血管肉腫のことも事細かく聞いて私に報告してくれました。自分の病気はカルポニンが出ていないから、高橋先生の治療は無理かもしれないけど、loveamsさんの奥さんの血管肉腫はカルポニン陽性度がほぼ高いと思われる。それまでの治療は・・・と、まるで親類のように。

その後状態が悪くなりながらも、自ら治療方法を探し続け、多くの医師たちの間を駆け回っていました。

ときおり叫びのようなメールを受け取り、それでも最後には前向きな姿勢を崩さなかったけど、最期の数週間は痛みに耐えていたようです。

人には様々な最期がありますが、妻は彼女らしい最期だったと思うし、kiaraさんもそう。宮井君が痛みに耐えられたのも、陸上競技で鍛えた体と精神力があったからだと思う。だから最期まで戦い抜いたのだと思います。

音楽の趣味があい、ネットの知り合いで初めて教えた私のhpで音源を聴いてくれて、「いつか東京に見に行きますから!」と力強い言葉を一度だけ携帯電話で聞いたのが、彼とのリアルでの唯一の接点。今回の治療が終わって、退院したら送ると約束したCDとDVDを渡すことが出来なかった。

一度「このブログからリンクしても良いか?」と聞くと、「私のhpは愚痴ばかりで誰にも勇気を与えられないから。もし闘病中の人が、頑張っている人のhpを見たいと思って僕のところへ来たら辛くなるでしょ」と言われた。でも、多くの人に勇気を与えていたと思う。その証が彼のhpのBBS。多くの友人達が彼の回復を祈り、訃報を聞くと冥福を祈り、感謝の言葉がたくさん書き込まれています。

最期まで自分らしく戦った宮井大輔君。ほんとうにたくさんの勇気を貰いました。ありがとう。

天国で思う存分走って、ギターを弾いてください。

テーマ:ありがとう - ジャンル:心と身体

出来る事
いや〜暑い!こう暑いと仕事もはかどらない。こういう時はやはりビールでも飲んで・・・。さすがに今日はそんな風には思わなかった。
昨晩も仕事が手につかず、結局朝までボケーっとしていたから体がだるくてたまらない。

暑ければエアコンをつけて、冷たいものを飲んで。お腹が空いたら「夏バテ撃退に美味しいものを食べよう」などと思う。今年の夏はあまり思わないけど。それでも今日も三食食べた。

ママが亡くなった1月3日は一日中、殆ど何も食べる事が出来なかった。喪主が倒れたらしっかり送ってあげられないよ、という周囲の言葉がとても迷惑に感じた。それでも、4日には何かを食べ、通夜の晩には眠れないのでお酒も飲んだ。あままは親戚がいっぱいきていたので、通夜の晩は3時頃まではしゃいでいた。

3月頃までに9キロ体重が減り、それから超絶リバウンドでそこから15キロ増えた。お酒がいけないのは理解しているが・・・。

悲しいことがあっても、数日すればご飯を食べる。食べている時に「俺はなんて冷たいヤツなんだ。メシ喰ってやがる」などと思う。でも食べている。ママはもう食べられないのに。一緒に話も出来ないのに。そんな事が3月までは続いた。

kiaraさんの件、ご家族は素晴らしい牧師様の下で信仰されていたので、私ほど頭の悪い考え方はしないだろうが、自宅に帰った後の寂しさや悲しみを考えると言葉も無い。

キュアサルコーマのkyonさんやSHINさんは、まさに一緒に戦ってきた仲間を失ってしまった。どれほどの悲しみが・・・。想像も出来ないほどの悲しみだろう。だからキュアサルコーマのブログに行って、更新されている事を確認しても、文章を読むことが出来ないヘタレな私。同じ病気で活動を支えていた皆さんも、ショックや悲しみが積み重なってくるのだろう。

多くの人々に愛情を注いでくれた人だけに、深く悲しむ人も多いだろう。そんな時に私は何をしたら良いのだろうか。そんな事を昨日から考えていたが、kiaraさんだったら考えなくても行動できるのだろうと思う。私達は特にこの一年間、多くの皆さんに支えられた。kiaraさんにもkyonさんにもSHINさんにも。kiaraさんのご家族にも間接的に支えられていたと思うし、様々な方から妻の入院ブログやここで応援してもらって、少しずつ立ち直りかけている。で、何か出来る事があるのではないだろうか。そう考えても、私の頭ではなかなか・・・。

kyonさんSHINさん。無理せずにマイペースで行きましょう。
闘病中の方々も、暑いですし無理せずに行きましょう。
ありきたりな言葉しか出てきませんが。

このブログにあるアフィリエイト報酬は、全てキュアサルコーマへ寄付を致します。

さ〜て、これからもうひとふんばり頑張るか
kiaraさん
ご存知の方も多いと思いますが、キュアサルコーマのkiaraさんが亡くなられました。知らせを受けたのが6日。M君から携帯にメールがあり「悪戯かもしれないし、怖くて添付ファイルが開けない。もし本当だったらloveamsさんのところにも行っているだろうから確認してみてください」。M君も信じられなかったのでしょう。外出先から戻ってメールを受信すると・・・。
今まで友人の死、父親の死、妻の死がありました。それらとは違う感情が涌き上がりました。だからなんだかわけがわからんという表現になってしまいました。

kiaraさんとは実際にお会いした事も無く、電話で話す事もありませんでした。でも、kiaraさんが送ってくれたメールや手紙などには、ほんとうに「わけがわからん」ほどの妻や私達への配慮がされていました。今までに出会ったことの無い人です。

昨年妻の入院ブログで私が血管肉腫の治療情報を求めていた時に、コメント欄でアドバイスを貰ったのが初めて。その後妻が救急車で運ばれ、心が折れそうになる状態で悲鳴を上げていたときに、わざわざ英文の論文から最新の治療方法をメールで送ってきてくれました。その時はなんと感謝したら良いかわからず、ただただありがとうと返信していた気がします。
そういう状況から、私はその頃kiaraさんの身体は腫瘍がある状態ではなく、キュアサルコーマの活動をされているのだと勝手に思い込んでいました。ところが数日後治療に行くというメールが来てビックリです。自らも治療中なのになんで違う肉腫の論文を調べ、会ったことも無い人に送れるのだろうか。その時も「わけがわからん」ままに日々の治療のサポートをしていました。

今年のはじめ、妻が亡くなりブログに書く少し前にメールでご連絡をしました。返信があったのが二週間後。ご自身も入院治療中で、さらに妻の死を知りメールを送ろうにも言葉が見つからなかったと。しかしそのメールにはとても素晴らしい言葉が書かれていました。

前夜の祈りの日には、なんだか思い立ったように墓参りがしたくなり、早朝からあままを連れて茨城県の母と父の実家の墓参りに行きました。その後大腸がんで入院中の叔母の見舞い。欲張ってしまったために遅れてしまい、到着したのが9時過ぎ。身内の皆さんだけのところへ突然お邪魔してしまいました。
初めて写真を見て、ご本人のお顔も拝見して。とても素晴らしいお顔でした。ご主人とご兄弟の皆さんにお悔やみとお礼を申し上げたところ、逆に「loveamsさんも頑張ってくださいね」と励まされました。恐らく皆さんも辛い気持ち・悲しい気持ちでいっぱいなはず。自分自身のと時を考えると・・・。周りの皆さんもkiaraさん同様素晴らしい方ばかりなのですね。
前夜の祈りの時にもあままは車にいたのですが、父親に振り回された1日で疲れてしまい、ばあばと車で眠ってしまいました。私が車に戻ると「さて、kiaraちゃんに会いに行こうか」って。タイミング悪すぎ
告別式の日にははずすとたいへんな仕事があったのですが、もう一度お顔を拝見してお礼を言いたかったのと、あままもやはりどうしても行きたいという事でしたので参列させていただきました。
教会全体が愛情で包まれたような素晴らしい告別式。kiaraさんが多くの人々に崇高な愛情を分けてくれていたと同じだけの愛情が、教会全体に満ち溢れていた気がします。

小学校入学後、kiaraさんが学校に持って行く小物入れなどを数点手作りで作りあままに送ってくださいました。このときにもkiaraさんは体調があまり良くなかったらしいのですが。その後あままがそれらを身に着けた写真と手紙を送ったのですが、お嬢さんが前夜式の晩に「ママ手紙を読んでいたよ」と話してくれたときには、少しだけ、kiaraさんが私達に分け与えてくれた愛情の1/100でも、私達の喜びを分けられたのではないかと思うとホッとしました。

帰宅途中であままに「どんな感じがした?」と聞くと、「ママと同じだね。少しニッコリしていたから、oooちゃん(お嬢さんの名前)もきっとすぐに元気になって、天国からママとkiaraちゃんが私達を見守ってくれるね」と話していました。
子供にも愛情が伝わるような、素晴らしい告別式に参列させていただいたことにも感謝です。

きっともうしばらくしたら、ママとkiaraさんは辛い闘病から解き放たれて、私達や病気に苦しむ人々を救うために見守ってくれるのだろうと思います。

素晴らしい絆で結ばれたご主人と、kiaraさんとご主人の遺伝子を受け継いだお嬢さん。kiaraさん同様優しさの溢れる笑顔が印象的だったご兄弟。こんなに素晴らしい環境があるのですから、お嬢さんはすくすくと成長していく事でしょう。それを笑顔で見ているkiaraさんを想像するのはとても簡単なことです。

などと殊勝なことを書いていますが、前夜式では場所がわからず30分も近所を徘徊して警察の人に「ちょっと」と声をかけられるし、告別式では外に出る時に他の方の傘を持って出てしまうし・・・。私もしっかりしていかなければなりませんね。
人との別れはとても辛いものですが、ご主人やご兄弟の皆さんから逆に励ましを頂き(そういうところも私がだらしないから・・・)愛情の溢れた式に参列させていただき、興奮状態であるにもかかわらずとても心が平穏な感じです。

以下は「妻の入院」に「ある方から頂いたメール」として書いたものですが、kiaraさんから頂いたものでした。この文章そのまま、ご主人とご家族、kiaraさん自身の事だと思いますので、もう一度転載させていただきます。

ある方から頂いたメール(勝手に引用してゴメンナサイ)----

奥様はとても幸せだったと思います。耐え難く辛い現実を一緒に苦しみ、何気ない毎日の中に大きな幸せを共に感じて歩いてくれる家族に恵まれたこと、最期の時を自宅で、日常生活の中で迎えられたこと。○○年も入退院を繰り返していつも思うことは、「家に帰りたい」、「病院で死にたくない」。でも、一体こんな病気になった人たちの何割が天に召される数時間前まで愛する家族と川の字に寝て、明日のことを語りあえるのでしょう?33歳の若さで不治の病に倒れたことは不運だったかもしれない。でも、最期の瞬間まで苦しくとも積極的な治療を選んで生きたい、この世にとどまりたいと強く願うほど、奥様はかけがえの無い宝物を沢山持っていた。

そして、「もう戦わなくていい、治療を受けなくていい」と奥様の意思に反して言うことなく、良くなると信じて共に戦い、病院に付き添い前を向いて歩いたことを、どうか誇りに思ってください。不憫に思うのでもなく、励ますのでもなく、苦しみも悲しみも喜びも、「共に在る」ことこそが最大の愛だと、私は思います。
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やはりこれからも笑顔で生きていこうと思います。すぐに言った事を忘れてしまう愚か者ですが・・・。

言葉にならないほどの悲しみと感謝の気持ち。妻とkiaraさんにはたくさんのことを教えてもらいました。ほんとうにありがとう。

さ〜て、今日ももうひとふんばり頑張るか〜
まったくわけわけがわからん
暴飲暴食喫煙飲酒不規則な生活をして自己中心な暮らしをしていた33歳まで。
その33歳で妻は亡くなった。人に優しく健康に気を使う。私にとっては素晴らしい妻だったし、あままからすると良いママだった。

この1年間私たちをメールや手紙、心のこもった手作りの子供用品で支えてくれた人。感謝してもしきれません。ありがとう!